中山道 武佐宿
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中山道は江戸幕府が管轄する基幹道路であった五街道の一つで東海道と共に江戸と京都を結ぶ最も重要な道路でその距離は全長百三十五里二十二丁(約五三〇km)宿場数六十九の日本の幹道である。
中仙道は武蔵国十一宿、上野国六宿、信濃国十五宿、木曽路十一宿、美濃十六宿、近江国十宿から成り、古道…東三道と相対しながら山岳地帯を通り、山越えの難所が多いが、東海道と異なり川留になる河川も少なく、姫宮の通行のほとんどが中仙道を利用していた。
一方庶民の利用する生活の道というより兵力の移動を円滑にするためや、西国諸大名を支配する政治的、軍事的道で容易に江戸に進入出来ないよう、わざと地形的に通行困難なルートにしたとも云われている。
その中山道ができた当初に、第六十七宿武佐宿
近江の国武佐宿は、川越藩のとび地で松平藩(石高二万二千石余り)である。
尊王攘夷の嵐に翻弄され幕末に大阪に居を移し難を逃れている。
武佐村も廃藩置県、市町村合併によってだんだん縮小され現在の六ヶ村になっているが、松平藩の統治範囲は広く、蒲生郡、野洲郡、甲賀郡、高島郡と、その勢力を伺い知る事ができる。
小さな旅 近江八幡
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baba
中山道 番場宿
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長谷川伸の戯曲『瞼の母』で一躍脚光を浴びた山里の宿場町です。付近には一向上人開山と伝わる蓮華寺や、脇本陣跡といったみどころがあります。
滋賀県米原市番場
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